石鹸箱 IV

VBA研究所に集まる方々の憩いの場です。みなさん自由にお使いください。
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【2151】体罰は是か非か 谷 誠之 07/11/22(木) 12:07
【2152】Re:体罰は是か非か Jaka 07/11/22(木) 14:24
【2153】Re:体罰は是か非か ichinose 07/11/24(土) 20:19
【2154】Re:体罰は是か非か ponpon 07/11/27(火) 0:02
【2155】Re:体罰は是か非か 谷 誠之 07/11/27(火) 0:17
【2156】Re:体罰は是か非か 吟遊詩人 07/11/29(木) 22:14
【2157】Re:体罰は是か非か あゆたろう 07/11/30(金) 19:02
【2158】Re:体罰は是か非か BOTTA 07/12/3(月) 21:30
【2159】Re:体罰は是か非か ponpon 07/12/4(火) 1:11

【2151】体罰は是か非か
 谷 誠之  - 07/11/22(木) 12:07 -

引用なし
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   谷です。復活早々、物議をかもし出します。

Jakaさんが

>言い訳をする高校生をひっぱたきました。
>なんですか、俗に言う体罰禁止の人柄の人はダメですね。
>体罰無しに教育や育児は出来ないと思います。
>ま、なんにせよ体罰は必要です。

ということを書かれていて、私も教育関係に籍を置く人間として素通りできなくて。

あ、もちろん以下に書くのは、私の個人的な意見です。

---

まず、私は Jaka さん同様、体罰是認派です。確かに体罰は必要です。ここでいう体罰とは、殴る、ひっぱたく、投げ飛ばす、廊下に立たせる、丸坊主にするなど、すべての身体的にダメージを与える行為をさします。

しかし、体罰はおおきなふたつの前提があって初めて成立するものだと思っています。それは、

 1.体罰を与える側に、体罰に対する目的意識があるかどうか
 2.体罰を与える側と受ける側との間に、それなりの信頼関係があるかどうか

です。このふたつの一方でも欠けていれば、それは体罰ではなく、ただの暴力です。

---

1.から説明していきます。

体罰を与える者は少なくとも、体罰を相手に与えることによって「相手を更正しよう」という意識がなければなりません。「ムカついたから殴った」というのでは、自分の鬱憤をはらすための行為であり、それは体罰とはいえません。

体罰を与える者は、体罰によって相手を反省させ、同様の悪い行いをしないようするという「相手をより良い方向に導く」意識が必要です。そのためには、いつ、どのような形で、どのような体罰を与えるのが最も効果的なのか、ということをきちんと認識しておく必要があります。言い換えれば、効果のない体罰は、体罰ではないのです。30歳の大人が仕事をしないからって上司に殴られたとしても、それによって上司を恨むことはあっても、仕事をするようにはならないでしょう。大人の世界では、体罰は効果がないからしないのです。逆に軍隊の世界では、体罰に効果があるから、上官は兵隊に腕立て伏せなどの体罰を与えるのです。

体罰は相手に反省をうながすための行為です。そのため体罰は、いかなる場合であっても相手に身体的欠損(つまり怪我や病気)を与えてはいけません。体罰を与える側に更正する意識があっても、怪我をしてしまったら体罰を受けた側は「なぜ体罰を受けたか」という根本的な部分を忘れ、「怪我をさせられた」という意識だけが残るでしょう。それでは体罰に何の効果もないばかりか、傷害罪で訴えられてもしかたのないことになります。

私の高校時代に、本当に殴ったり蹴ったり、しっかり体罰を与える体育の先生がいました。彼は「たしなめる」「叱る」「体罰を与える」という基準を彼なりに持っていました。ですから殴られた側は、その先生に殴られたことをそれなりに納得したものです。また、どれだけボコボコに殴っても(皮膚が赤く腫れることはあっても)絶対に怪我をさせませんでした。その加減はすごいと思いました。

---

2.について。

体罰を与える者は、体罰を受ける者と、それなりの信頼関係を構築しておく必要があります。極端な話、嫌いだと思っているやつから体罰を受けると、相手を憎らしいと思っても相手のいうことを素直に聞き入れる気分にはならないでしょう。また、正論をふりかざす見ず知らずのオッサンから殴られたら、いくらその人の言っていることが正しくても、反省する気にはならないでしょう。つまり、信頼関係のない人からの体罰は、教育的効果がまったく見込めないことになります。教育的効果のない体罰は、暴力でしかありません。

前述の高校の先生は、「殴るやつほどかわいがる」ことをしていました。殴られることのないおとなしい生徒にしてみればえこひいきにも見えたのですが、あれがあの先生のケアの仕方、信頼関係の構築手法だったんだ、と今になればわかります。きちんとケアするから、殴られた側もいうことをきくのです。

---

最近、学校での体罰禁止論がとりざたされています。それはとにもかくにも、体罰を与える側が体罰をきちんとコントロールできないという事実、先生と生徒との信頼関係が崩れてきているという事実に基づいているものだと思っています。

みなさんは、どのようなご意見をお持ちでしょうか。議論するつもりはありませんが、「こんな意見もあるんだ」ということを知っておくのはよい機会です。ぜひ、ご投稿ください。

【2152】Re:体罰は是か非か
 Jaka  - 07/11/22(木) 14:24 -

引用なし
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   誰も参加しないとね。

え〜と、要するに言い訳する前に誤ってそれなりの行動をとれということです。
自分は特別だと思っている輩は、他の人もやっているからとか他人のせいにして、人の迷惑顧みずってのがほとんどだと思います。
誰も言わないから、どんどんエスカレートします。
まあ、いっても聞く耳もたないでしょうがね。

例えば
道徳心、モラル、大体、親や祖父母らが基準になると思います。
で、この基準よりちょっと悪いのは許されると、ほとんどの人が思います。
だんだん、このちょい悪(ハズイ言葉だ)が、他の人もやっているからと基準に変わっています。

これが、学校、社会にでて、どんどん基準があがっていきます。
この人たちが、親になれば子供はこれが基準になります。

でもって、親、祖父母も子供たち周りの人がうやっているからと基準を引き上げます。
この基準がどんどん引きあがっていった結果が、現代。

信頼関係というより、道徳(う、また言っちゃった。あんま無いので、かなりハズい。)の問題です。

因みに、摂関を受けた事が無い、ケンカをされた事が無い人だと、限度を知らないかも。
最近は限度を知らないケンカも多いけど。

う、長え、しかもまとまってない。
さらっと書くつもりだったのに。

【2153】Re:体罰は是か非か
 ichinose  - 07/11/24(土) 20:19 -

引用なし
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   皆さん、こんばんは。
Jakaさんの投稿で体罰について、久しぶりに考えてみる時間がとれました。

Jakaさんが高校生をひっぱたいた発端はわかりませんが、Jakaさん事ですから、
高校生に目に余る行動があったのでしょう!!

>誰も言わないから、どんどんエスカレートします。

そうですね、最近は高校生に注意を促す大人は少ない、ましてや手をあげるなんてねえ。
(私ができるかどうか、甚だ疑問ですね、あっ、私の家族に火の粉がかかるような事象なら別ですが)
よって、ひっぱたかれる高校生も殴られるということに慣れていません。
つまり、慣れていない精神的に未熟な未成年が逆恨みするような行動にでることを心配しています。
ですから、Jakaさん、そのことも考慮に入れて気をつけてください。

さて、体罰に関しては、私も肯定派です。
条件としては、体罰を与える相手に対して、愛情があるか否かですね!!
私は、私の子供に体罰を与えることがあります(ひっぱたいたことも廊下にたたせたり・・・)。
愛情があれば、たたく手は、自然と加減されます。よって、怪我などさせることはありません。

谷さんは、「罰を与える体育の先生」の事を語られていましたが、私にも思い出があります。

小学校4年のときでした。担任は、当時40半ばの女性教師でした(年齢は、あくまでも印象なので違ったら失礼)。
当時の小学校校舎は、老朽化した木造校舎で、確か倒れないようにと
校舎に丸太を支えにして補強されていました(想像してみてください、今では考えられない光景です)。

あるとき、授業中に地震がありました。地震規模自体はたいしたものではなかったのですが、上記の校舎ですから、校庭に非難しました。
事件は、この避難中に起きました。大した地震でもないという思いがあったのでしょう、生徒は避難訓練と同じ程度のちょっとしたイベント気分でした。皆ふざけながらの遊び気分でした(当時の私もご多分のもれずでした)。
そして非難時、私の目の前にいた少女も笑いながらの非難でした。
担任の先生は、訓練ではなく、本当の非難だと言うのにその少女の緊張感の無さに怒ったのでしょうか?
「笑ってるんじゃない!!」と少女の顔にビンタがとびました。
当時の私たちにとっては、時が止まったような衝撃でした。その先生が私のような悪がきに拳骨を振り下ろすことはよくありましたが、普段は本当に大人しいしかも女子をひっぱたくなんてことはなかったからです。先生の顔を恐る恐る覗き込むと目には涙が流れていたことを昨日のように思い出します。

この少女、実は大病を患って長く入院していました。やっと、学校に出てきた時は入院前とはずいぶん様子が変わっていました。病気が原因したためなのか帽子を授業中もかぶりっぱなしでした。「この帽子をふざけて取ったりは絶対しないこと」と先生からは強く注意を受けていました。子供の私にもその少女が並々ならぬ病気だったのだろうということは分かっていましたから、他の女の子とは違いちょっとだけ気を使っていました。そんな少女に対しての先生の行為に本当に驚きました。

その少女は、その後転校していきましたが、転校してから程無くに亡くなっています。
後になって知らされたのですが、少女の病名は白血病だったそうです。

先生は、地震があったその時には既に少女の病名を知っていたはずです!!(もしかしたら、限られた命であることも知っていたかもしれません)
つっかえ棒をしなければならないような校舎なら、震度3でも校舎に異変が起きる可能があると判断したならば・・・。

この少女をこの地震で怪我などさせるわけには絶対にいかないという思いが、
その教師をビンタという行為に走らせたのでしょう!!
安全が確認された後にその教師が「痛かった?」と尋ねると、
少女は神妙な面持ちで頷きました。
「先生も胸が今も痛い」と声を詰まらせていました。

教師が体罰を生徒にしなくなった経緯を私は知りません。
世間(親を含めた)が教師を信用できなくなったのか、教師が体罰を行う責任を重く受け止めたからなのか?
いずれにせよ、今なら、これも大きな社会問題になったのでしょうか?

【2154】Re:体罰は是か非か
 ponpon  - 07/11/27(火) 0:02 -

引用なし
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   こんばんは。ponponです。

現場で何千回と体罰を与えてきた者としてJakaさんの

>言い訳をする高校生をひっぱたきました。
>なんですか、俗に言う体罰禁止の人柄の人はダメですね。
>体罰無しに教育や育児は出来ないと思います。
>ま、なんにせよ体罰は必要です。
の発言には引っかかっていました。

いろんな考え方はあろうかと思いますが、私は体罰肯定派でも否定派でもない
中途半端なところにいます。
以前は肯定派でした。
勿論、谷さんが言われるように

> 1.体罰を与える側に、体罰に対する目的意識があるかどうか
> 2.体罰を与える側と受ける側との間に、それなりの信頼関係があるかどうか
>
このように考えていましたし、

ichinoseさんの言われるように
>条件としては、体罰を与える相手に対して、愛情があるか否かですね!!
>私は、私の子供に体罰を与えることがあります(ひっぱたいたことも廊下にたたせたり・・・)。
>愛情があれば、たたく手は、自然と加減されます。よって、怪我などさせることはありません。
>

「この子のためを思って」なんて考えていました。

実際に、体罰の結果、嘘から嘘で固めた子どもを親の前で正直に反省させ、
感謝されたこともありましたし、けが(昔はよく鼓膜を破った人がいた)をさせたこともありません。
同窓会では、子どもたち(もう30過ぎのおっさん、おばさんですが)が、よく先生には殴られた・・・、こんなこともあった。あんなことしてげんこつ食らった・・・などと酒の肴に話すことも多いです。

私の中にも一応明確な基準があるのは確かなんですが、
 1.ほとんど毎日宿題を忘れる。人にちょっかいを出す。いたずら。
  この程度は、口でたしなめる。軽くこづく程度。
 2.他の人に対する嫌がらせ
  あまりにしつこいと拳骨
 3.非人間的な行為、いじめや人を陥れる行為
  これはもうビンタですね
これらは、法律で定められた明らかな体罰で、してはならないと禁じられています。
さらに、身体的苦痛のみならず精神的な苦痛も禁じられています。
私たち教職員には、懲戒権というのが一応あるのですが、精神的にも身体的にも苦痛を与えたらいけないのでは、もうお願いするしかないのが実情です。
最近子どもは、言うこともすることも大人顔負けなことが多いので・・・・

でもねぇ・・・
 子どもを殴るときの自分を振り返ると、「人ととして許せない」とむかっ腹をたてているだけのような気がするんですよ。「我が子だったらこんなもんではすまないぞ」って気持ちでいっぱいなんです。
>愛情

>信頼関係や目的意識
なんて、あるんでしょうが、「人として絶対に許せない」という気持ちでいっぱいなんです。
谷さんのいう
>「殴るやつほどかわいがる」
この通りなんです。「どうでもいい」と思ったら、殴りはしませんもんね。
最近は、見て見ぬふりする教師委も多く(特に若い優秀な人?偏見かな・・)
・・・・・
・・・・・
てな訳で
私は体罰肯定派でも否定派でもない
中途半端なところにいます。
と、言いつつ明日も子どもと格闘の日々です。

【2155】Re:体罰は是か非か
 谷 誠之  - 07/11/27(火) 0:17 -

引用なし
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   谷です。

変な話ですが、体罰について、40年前の作品ですがおもしろい考察が見受けられます。

ウルトラセブン 第28話「700キロを突っ走れ!」です。
詳細はここでは書きませんが、もし DVD を見る機会があれば、ごらんになってください。秀逸な作品です。

結論だけ書くととっても軽くなってしまうのですが、任務を嫌がるアマギ隊員に、キリヤマ隊長が平手打ちをします。そして落ち着いた口調で、「早くやれ。時間がない」と言って、その場を立ち去るのです。

そして、無事任務を終えたアマギ隊員を、キリヤマ隊長は優しく迎えるのです。

(これはもちろんドラマですし、平手打ちをくらった側は軍人だし、大人です。それはわかっているのですが)本来は体罰だけを取り出して議論するのではなく、その体罰の与え方、与えるタイミング、その後の措置、そしてケア、全部ひっくるめて「教育」なんですよね。

体罰を受ける側が、その体罰を教育や躾と受け取ってくれなければ、その体罰は無意味です。体罰は与える側の問題ではなく、受け取る側の問題だと思います。

ponponさん、微妙な立場におられるようですが、がんばってくださいね・・・

【2156】Re:体罰は是か非か
 吟遊詩人  - 07/11/29(木) 22:14 -

引用なし
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   ご無沙汰してます。

久しぶりにお邪魔したら興味ある話題なので、
教育者でない私ですが、子育ての経験を少し^^;

上は小学4年生、下が一年生です。

ある日娘が意味の無い事で弟の大切な物を投げて壊しました。
かんしゃくみたいな物です。

この時、私は娘を叱り、娘の手を叩きました。
ピシッて強く叩きました。

そして、君がこんな事をしてしまったのはお父さんにも
責任がある、といって、自分の左手を物差しで思いっきり叩きました。

真っ赤になって痛みが走りました。
でも、娘は泣きながらしがみついてくれました
そして、ごめんなさいごめんなさいって言ってくれました。

言葉で叱っていても無言で下を向いていただけの娘がです。
叩いたら、叩いたほうも痛いって事を理解させてあげるのが
大事かな?って思ってます。

でも、叩いただけじゃ、叩いた手の痛みは相手に伝わらない。
だから私は娘の前で自分の手を叩きました。

【2157】Re:体罰は是か非か
 あゆたろう  - 07/11/30(金) 19:02 -

引用なし
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   はじめまして、あゆたろうといいます。
EXCEL VBA勉強中です。ここでは大変お世話になっています。

私の体験談を書かせていただきます。
小学生5年生の時、普段はまじめに掃除ましませんでしたが、その日はこびり付いた汚れが気になり、しゃがみこんで一生懸命に汚れを取っていました。それを見た担任教師がいきなり私に『なに座ってんだー』と怒鳴りながら蹴りを入れてきました。友人が説明したのですが、その教師からは一言の謝罪がありませんでした。優等生で無かった私は、その日からその担任をにらむようになっていました。その担任は、そんな私の行為に何もいいませんでした。子供ながらに優位に立っていた感じになっていたのを覚えています。
 中1のとき、散々な悪がきでした。みんながどんなに怖がる先生からも殴られることはありませんでした。ある時、その時の担任でいつも温和な井川先生が私と友人を、涙と鼻水流しながら何度も何度も私達を殴りました。怒られたきっかけはぜんぜん覚えていませんが、その顔は今でも忘れません。それまで教師をなめていた私は井川先生いう事だけは聞くようになりました。
 中三の冬、井川先生が病気で亡くなりました。葬式に出席するため学校に集合しました。その時、学校で2番目に怖いといわれていた先生が私と友人に向かい『お前たちのせいで(死期が)はやくなっちゃたかも知れんなー』って笑いながら言いました。その時初めて『人を殺そう(こいつは死んでもかまわん)』と感じ、殴りかかりました。その時は何人かの先生に止められましたが、その気持ちは変わりませんでした。
この3人の中で名前を覚えているのは井川先生だけです。
 愛情は勝手に伝わるとおもいます。なんか長くなりすみません。


でも万全を期して、自分の子供(5歳娘・3歳男)を叱るときは
>だから私は娘の前で自分の手を叩きました。
を参考にさせていただきます。

【2158】Re:体罰は是か非か
 BOTTA  - 07/12/3(月) 21:30 -

引用なし
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   ご無沙汰をしております、BOTTAです。
2年ぶりでしょうか??
久しぶりにのぞいたら、重い話題を取り扱っていますね。

私は、特に積極的に肯定をするわけではありませんが、
時には「体罰」もありかなと思います。
自分自身が、そういう環境で育ってきたから、そう思う
だけかもしれません。
ただ、自分からそういう行為を他人に出来るかというと
甚だ自信がありません。
でも、肯定派の皆さんがおっしゃることにはそれぞれ納
得できるし、体罰を与えた方にも受けた方にもうらやま
しさを感じます。
「サザエさん」の中で波平がカツオに「ばかも〜ん!!」
と怒鳴っている場面でさえ、いいなぁと思ってしまった
りもします。

これはいけないことなのでしょうか?

事なかれ主義で流れていく昨今、とんでもない事件が頻
発するのも、このような中途半端な教育がもたらした副
産物では・・と思うのは、私だけでしょうか?

【2159】Re:体罰は是か非か
 ponpon  - 07/12/4(火) 1:11 -

引用なし
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   こんばんは。再びponponです。
みなさんの投稿を拝見していて、いろんなことを考えさせられました。

>言葉で叱っていても無言で下を向いていただけの娘がです。
>叩いたら、叩いたほうも痛いって事を理解させてあげるのが
>大事かな?って思ってます。
>でも、叩いただけじゃ、叩いた手の痛みは相手に伝わらない。
>だから私は娘の前で自分の手を叩きました。

 すばらしい親子関係が目に見えるようです。このように自分も子育てをしていれば、
人の痛みのわかる子どもに育ったのかな・・・なんて

 でも、言い訳がましいのですが、教師と子どもの関係は出会ったその日から、
人の物は壊すは、けんかは始まるは、教室は抜け出すは・・・・。
人間関係0の状態で、次々と事件は起こっていきます。一日として事件のない日はないと言っても
過言ではないでしょう。

>それを見た担任教師がいきなり私に『なに座ってんだー』と怒鳴りながら蹴りを入れてきました。

 こんなことも数多くあったかもしれません。
 なかなかプロにはなれません。

 私は、あまり小さいことにぐちぐち説教するようなことはありません。
だから、子どもたちからは。「あまいちゃね」なんて言われます。しかし、人として、仲間として
許せないときは、かなりひどく叱り、時には殴ることもあります。

 体罰というと必ず思い出すことがあります。
もう30年近く前のことです。新米教師の私は、意気揚々と小学校の5年生を担任していました。
その学年も終わりに近づいた2月のこと。その日はやってきました。
バレンタインデーです。チョコレートをやったりもらったり(たぶん学校では禁止していたのだと思いますが。)
 私は、「それくらいは」と別に何とも言いませんでしたが、昼休みにほとんどの子どもが集まって
みんなで集まったチョコを食べていたのです。二人を除いて。
 私は、5校時授業そっちのけで怒りまくりました。チョコを食べていたことではなく、二人を除いたことを。
除かれた二人は、融通の利かない男子一人、真面目な女子一人でした。
「食べるなら、なぜ全員で食べない?どうして二人を除くのか?」と。
「・・・・・・・・・」
理由は簡単、その二人から食べたことがばれるからです。
 私は、二人を除く全員を平手で殴り、「こんなことをしたら、先生に殴られたと家の人に言え!」と言って
子どもたちを帰しました。
 その日は、8時近くまで学校にいて、保護者からの苦情を待ちました。幸い一本の電話もありませんでしたが、体罰というと必ず思い出します。

 なかなかプロにはなれません。

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